第1回 マシニングセンターと出会って
マシニングセンターとの出会い


なかなか続きが進行しません
ミニクランプのHPに色々追加
や変更がありそのテストや試作
に追われています
しばらく休稿いたします
必ず再稿致します




































MCと治具(1)
 振り返ってみるとマシニングセンターに出会ってはや30年にもなっています
使い始めのころを思い出すと、ボール盤や汎用フライスの延長程度の考えしかなく
単純なプログラムでしたが、テープ運転だったので、1文字間違えるとテープを打ち直さないと動かなくなり、手書き原稿と首っ引きで調べてもどこが悪いかもなかなか発見できず、取説片手に苦労した苦い思い出しかありません、その上「高いオモチャを買って」の陰口が聞こえてくるようになり必死にがんばった結果、半年後には2台目を入れるまでになりました。


気楽に書いてみようと思います
 
 表題とは関係有りませんが少し自己紹介をさせて下さい、
年齢がばれますが、昭和20年(太平洋戦争終戦の年)急造の機械科1期生(それまでは建築と土木)として入学(旧制中学)翌年には新制中学となり4年目からはそのまま新制高校になり、1クラス40数人で6年間勉強?しました。
 さぞしっかり勉強したと思われるでしょうが、実習機械と言えば動かない4尺汎用旋盤が1台でした、機械科とは名ばかりの卒業生でした。 
 
 実習では楽しい思い出があります。学校には実習機械が無いので4〜5人ずつで鋳物工場や鉄工所に実習の名目で何回か出かけました、その中で一度だけ機関車に乗せてもらいました、C58でしたか4〜5両編成の客車便でした、勿論乗客も乗っていましたが一駅間ずつ発車から次駅手前まで運転させてもらったのです、今では考えられないことです、停車もさせて貰えるはずだったのですが、丁度機関手のテスト中で停車位置のずれで成績が決まるのでさせてもらえませんでした。
 
 不況と1期生とで求人もほとんど無く、何とか就職でき2〜3年は夢中で機械を使っていましたが、生家の都合で退職して商売を手伝っていました。、元々商売が嫌いで飛び出していったのですから、元の会社からジェット戦闘機の仕事を始めるので手伝ってくれとの話に飛びつき復職しました、丁度三菱重工が自衛隊の練習機の製作を始めた時です。
 
 飛行機に乗って窓から翼が見えると無数のリベットが見えます、抵抗を少なくするため表面は平らですが。そのリベットにあった凹みを作るディンプルパンチ、ダイスやそのリベットをかしめる、リベットスナップの製作です,
.リベット?・・何だろうと、ご存じ無い方のほうが多いと思います、
昔はと言っても3〜40年前までは、造船も橋梁もほとんどがリベットでの接続でした、
今ではすべてが溶接かボルトに変わっています、今見ようと思えば古い鉄橋に近ずいて見れば丁度マッシュルームを何十個も並べたような鋼板の合わせ目を見ることと思います、このリベットをかしめるリベットスナップを作る会社でしたので、飛行機のもとなったのでしょうが、鉄橋を繋ぐリベットと飛行機とでは大きさも精度もぜんぜん違います
 しかしまだスナップは良かったのですが問題はディンプルパンチでした、





 最初にどんな加工をマシニングでやっていたかは思い出しませんが
たぶん左図の小判型のポンチング用ポンチだったと思います、ダイスとセットでアングルやチャンネルに小判型の長穴をあける刃物で、切刃になる小判型と底面のキーになる凸部との直角が必要です。
 汎用フライスではどうやって加工していたのでしょう、いまさら詮索しても長くなるので割愛しますが、量産品でもなく要求精度も±0.05でも差し支えの無い商品なので、あちこちひっくり返し手加工も加えながらやっていたようです
 
 それがマシニングセンターに回ってきたとき、さてどうするか?、縦型MCでNC割り出しも付けていましたので、割り出し本体と芯押し台とで治具を支えて180度回転させれば良いことはすぐ誰でも思うことですが、32πでストレート部20oをいかに掴めば加工トルクに負けないチャッキングが出来るか?、これが私のたぶん最初の治具への挑戦だったと思います。以下次号


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